今回は、寂しさとセックスの関係性について掘り下げていきます。
「寂しさ」というテーマで、私の思うことを書いて、次に「寂しさ x セックス」というテーマで記事を書いていきます。
そうやって、色んな角度から「寂しさ x SEX」について考えることで、「寂しさ x SEX」という話を掘り下げていけたらな、と思います。
寂しさについての私の考察
まずは、寂しさとセックスについて、私の思うところをバババーって書いていきます。
人は寂しくなると何かを求める
私はたぶん、基本的には寂しがり屋ではないと思うの。
でもね、家にいる時とかに「何かしたい (何か行動したい) んだけど、何していいのかわかんない!でも仕事はしたくない。」ってことがたまにあるの。
それでどうするかって言うと、料理したりDVDを観たりして気を紛らわすんだ。
すると、「ん~なんか違う、私のしたいのはこれじゃない!」っていう気持ちになるのね。
そのとき、思うんだ。「あ、私寂しいんだ!今寂しさを感じてる!」って。
何が言いたいのかというと、「人は、寂しさを感じたら何かを求めるんじゃないか、何かに依存してしまうんではないか、何かで気を紛らわすんではないか」というのが私の意見。
若い時は寂しいなんてほとんど思わなかったんだけどね…。
1人で仕事するようになって、1人で家にいる時間が増えてからこのように思うシーンが出てきました。
何を求めるかは人により違う
寂しさを感じた時に何を求めるのかは、人によって違ってくると思う。
料理することを求める人もいれば、DVD観賞を求める人もいる。恋愛を求める人もいる。セックスしてしまう人もいる。
私の場合は、「仕事がしたくない。掃除がしたくない。洗濯も違う。遊びには行きたいけど、それもなんか違う。遊びに出かけたところで時間こそ潰せるけれど、今の気持ちは何しようと変わんない気がする。もっと適切なことを見つけよう。でもいったい私は何をしたいんだ?あぁ~誰かと喋りたいな~」っていう風に思うんだ。
これが私の寂しさ。
とりあえず何かを求めているよね。
でも結局、何を求めているのかはわかんないの。
そして、何で気持ちを紛らわしても、時間が経つと、寂しさが消えてるんだよね。
何をしなくても時間が経つと寂しさは消えてる。
どこからともなくやってきて、いつの間にか消えている。それが私の寂しさだね。
そう考えると、「何かを求めているようで、結局は何も求めていない」のかもね。
話が逸れました。
浮気の理由に「寂しいから。彼が構ってくれないから」とか「寂しくて付き合ってもない人とセックスしちゃった。その後の虚無感が半端なかった」っていう話を聞きます。
結局はみんなどこかで寂しさを感じて、寂しさから行動した結果が、「浮気とか不倫とか見知らぬ人とのセックスとか」になっちゃうんじゃないかな?と思うの。
もっと言えば、「浮気とか不倫とか見知らぬ人とのセックスとか」よりも「もっとたくさんのこと」が、「寂しさの処理の対象」として成されているんじゃないかと思うね。
寂しさの度合いや種類は無限大∞
「寂しいときに何をするか」というのは、実に色んな要因で変わってくる。
例えば、「寂しさの度合い」とか「寂しさの種類」とかね。
私は寂しいときには、料理することもあるし、DVD観ることもあるし、寝ることもあるし、ボーっとすることもある。
「寂しい」という感情があるときにする行動というのは、様々なの。
「1人の同じ人間でも、たくさんの寂しさを持ち合わせている」
「寂しさ」という言葉の中にも、色んな種類の、色んな度合いの寂しさがあると思う。
「寂しさ何なのか」ということは一概には言えないよね。
そういう意味では奥深いね。「寂しさ」。
寂しさを埋めようとしても綺麗には埋まらない
「寂しいときに何かで埋めようとする」
それは人間心理として確かに存在すると思うの。
でも結局寂しさは埋まらないんだよね。
料理しようが、寝ようが、セックスしようが。
むしろ、その寂しさを埋めることに夢中になると、寂しさを埋めることに依存が生じて、どんどん深みにはまっていくと思うの。
良くも悪くも。
寂しさをSEXで埋める人はいるけど、結局は何も生まれないと思うよ。
寂しさを生まれるためにセックスに依存する人は注意した方が良いね。
極端な話、気づいた時には心を失っているかもよ。
大切なのは、「寂しさを埋めること」ではなく、「寂しさと向き合うこと」
寂しさを自分以外の何かに求めても、結局はその寂しさは埋まらないと思うの。
実際私も料理したところで寂しさが埋まらないし。
大切なのは、「寂しさと向き合うこと」なんじゃないかな?
私 今寂しいの?なぜだろう?どうしてだろう?この寂しさの意味は?
寂しさを外へ向けるのではなく、内へ向けていくことで、可能性が広がっていく気がするなぁ。
今の世の中寂しい人が多いんじゃないか?
街に出たときね、たまに思うんだよ。「みんな寂しいんじゃない?」って。
休日に街に出た時は特に思う。
あまりの人の多さにビックリします。
世の中すごい平和だよねぇと。
仕事や学校が休み?なのかは知らないけれど、休日に街に出て、笑いながらプラプラしてる。
でもみんな何のためにそういう行動を取ってるんだろう?って気になるね。
もしかしたら、私が寂しさを感じた時に料理をしたり、DVDを観たり、寝たり、ボーっとしたりするのと同じように、何も当てがなく、ただ何となく街に出てきてるんじゃないかと。
街には人が多いから、気持ちも高まるし、出掛けた気分にもなるし、頭も働いてるしで、寂しさや暇が紛れるんじゃないかと。
明日も休みの場合は、お店でお酒を飲めば楽しいし、次の日が仕事の場合は、仕事に備えてゆっくりする。
これは、平和だねって言ったら聞こえが良いけど、「ただなんとなく」にも思える。
でも結局、これってさっきの寂しさを外へ広げるって話と同じじゃないかな?
寂しさや暇を「街」に求めているんじゃないか?ってね。
そうすれば確かに時間は潰せるけど、後になったら何も残らないんじゃないか?ってね。
それはそれで全然アリだとは思うんだけど、私はそんな人生は寂しいね。
「寂しさを十分に味わうこと」「暇を十分に味わうこと」
その方が大事なことに思えるの。
でも結局、大切なことは後回しにして、目の前の快楽を追求するのが人間だよね。
寂しさや暇と向き合わずに、寂しさを求めることを街に求めるのは快楽だよ。
「大切なことは、後回し」
まさに今の日本の、いや、世界の縮図だよね。
「若者が老人の世話をする」って大大大問題だよ。
赤ちゃんの世話はどうなる?若者の教育はどうなる?仕事に集中できなくなるけどどうなる?若者が払った税金が介護に大きくまわったらどうなる?
寂しさを紛らわすことが大事なんじゃないの。
寂しさと向き合うことが大事なんだよ。
寂しさの種類は無限大∞。
自分にしか味わえない、唯一無為の寂しさを、しっかりと味わいましょう。
寂しがり屋の人もいればそうでない人もいる?
私は自分ではそんなに寂しがり屋ではないんだけど、私よりももっと寂しさを感じない人もいるし、逆にもっと寂しがり屋の人もいると思います。
私の場合はここ数年で「寂しい」という感情を知ることができた。
寂しいという感情を知る前までは、寂しいという言葉は知っているけれど、どんな感情なのか、自分では体感できていなかった。
寂しいとはどういう意味か、理解していなかったんだよね。
「寂しい」ということを理解できるようになったのは、人生の途中からなの。
もしかしたら私はもっともっと寂しがり屋なのかもしれない。
今受け取っている寂しさはほんの一部なのかもしれないね。
そういう意味では、本来持っている「寂しさ」の度合いはみんな一緒で、それを受け取っているか受け取っていないかだけの違いなのかも…とか思っちゃったり。
寂しく感じるのは家庭環境による影響?
人と喋ってて思うんだけど、その人の性格や癖って、家庭環境が大きく影響しているよね~と。
家庭環境ってのがなかなか奥深いもので・・・。
例えば4歳の頃の出来事でも、25歳の時には思い出せなかったのが35歳になって思い出せることってある。(私まだ20代だけどね。笑)
そしてその時に思うの。「あ~、この時の出来事は、今の考えのこの部分に影響してるな」って。
それは、その歳 (35歳)になって始めて、その事実を受け止められるようになったということの表れなのかな?と思います。
「寂しさ」という部分も、家庭環境に影響しているんじゃないかな?
「家族に愛されてない人は非行に走る」って話も聞いたことあるけど、これも似たようなものの見方だと思うよ。
非行に走った原因を、家庭環境に追求している。
非行に走った原因が、100%家庭環境にあるわけではないと思うんだけど、「非行に走った人は過去に家族に愛されてなかったということが事実としてあった」というニュアンスの方が分かりやすいかもね。
寂しさ x セックスについての私の考察
セックスに依存する女たち
- 「ふと寂しくなって、会社の人や飲み会で知り合った人とセックスしてしまう」
- 「ナンパされるような場所に行ってしまう」
- 「魔が差したようにセックスしたくなる」
- 「彼を何度も求めてしまう」
- 「誰かについ甘えたくなる」
セックスに依存する形は様々です。
同様に、セックスに依存してしまう形も様々です。
寂しい人が「セックス」を求めているわけではない
そういった人たちは、セックスを求めているわけではありません。
実際、そういった方とも何名かお話ししましたが、皆さんただ単にセックスがしたいのではなく、心に隙間があるように見えます。
女性は、自分の気持ちを表現されようとする方が多いですが、言葉こそ違えど、「寂しい」と感じている人が多いようです。
その寂しさや虚しさ、不安を解消したいのかな?というのが印象に残ります。
そのためか、セックスの行為よりも、その前後に抱き合ったり甘えたりして男性の体や心を求める方が多いです。
そのときに感じられるぬくもりや深い安らぎが、心の寂しさを埋めようとしているのかもしれませんね。
「セックスしたい」というのは、「恋人と愛のあるセックスをしたい」の略なので、「風俗に行け」は解決にならないって、隣のマックで女子高生の席が言ってた。 https://t.co/dWdpRuvKeU
— 筒井マガネ@フルマガネちゃんねる (@tsutsuiXmagane) May 1, 2016
セックスは「繋がり」の象徴
人は、寂しくなると外側に何かを求める傾向があります。
セックスは心理的な見方をすると、「繋がり」の象徴です。
人との繋がりを直接感じられる手段でもあります。
人は、人との繋がりを感じることで、安らぎを実感することができます。
赤ちゃんがお母さんの腕の中でいるような感覚なのかもしれませんね。
セックスに依存してしまう人は、このような安心感を求めてセックスをしてしまうのかもしれません。
ただし、寂しいからといって、セックスすることで、後になって残るのは虚しさです。
心の隙間は空いたままです。
寂しさを埋める
女性の心に隙間ができる原因は様々です。
幼い頃の家庭環境、失恋、ショックな出来事・・・。
「寂しさと向き合おう」と述べましたが、何事も1人でこなすのは大変です。
頼れる人がいる場合は、頼りましょう。
寂しさを埋めていきましょう。
私はカウンセラー業を専門にしているわけではないですが、人といるとなんだかカウンセリングチックになります。
たくさん喋るわけではないんですが、目を丁寧に合わせたり、握手することで、親密感が生まれます。
そうやって、「心を満たす手段は、セックスだけじゃないんだよ」と伝えていくことで、人は充実した心が生まれます。
「心を満たす手段は、セックスだけじゃない」
この意味を理解していくことで、寂しさ→セックスという図式を、ほかのものに変えることができます。
そのためにはまず、「寂しさ」を認識し、「寂しさ」に歩み寄ることから始めましょう^^